ひとりゾンターク

レトロ万華鏡の日記ページです。

デートやスピーチのツカミネタレシピ 昭和のレトロ、平成のテクノ11

任天堂以外にも平成には素晴らしいゲーム機はありました。

代表的なのが、プレステことプレイステーションセガサターンでした。

そのうちのプレイステーションを取り上げてみましょうか。

プレイステーション1994年登場!

まさに平成時代の落とし子です。

その誕生のきっかけは任天堂の裏切りでした。

任天堂スーパーファミコンの周辺機器としてソニーのCDーROMアダプター採用を決めてましたが、土壇場で撤回。ソニーを切り捨てたんです。

これで激怒したのがスーファミ用CDーROM開発者の久夛良木健(くたらぎ けん)氏。

こうなったら、自力で一からゲーム機を作ってやる!

で、出てきたのがプレステことプレイステーションです。

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私はファミコンスーファミも買いませんでしたが、プレステ2なら買いました。

何故って、電車でGO!がやりたかったんです!

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だから、別売のノッチも買いました。

プレステは本体は結構高かったんですが、ソフトが安かったですね。

スーファミのソフトはROMカセットなので製造コストが高くて、一本一万円超なんて珍しくありませんでした。

しかし、ソニーのプレステソフトはCDーROMが一枚入ってるきりだから、5800円くらいでした。

ソフト会社の誘致も任天堂とはまるで違いました。

任天堂アメリカのアタリ社が大量のクソゲーを出して倒れ、業界全体に不況をもたらした、いわゆる「アタリショック」を警戒してました。

そこで業者の参入ハードルをうんと上げて中小のソフト会社を締め出しました。

この方法はゲームの水準は上がりますが、ソフトが少なめになります。

ソニーはそこで逆に中小のソフト会社に参加を呼びかけたんです。

結果、クソゲーの割合も多くなりましたが、電車でGO!みたいな優良アーケードが移植されるし、短期間でソフトを充実させました。

何よりCDーROMは容量が700メガバイトで大きい。

対するスーファミは6メガバイト

この容量の差でソニーはゲームの3D化を一気に進め、裏切り者の任天堂にリベンジを果たしたのでした。