事実上のゲームウォッチの後継携帯型ゲーム機ですが、全くの別物でした。
ゲームウォッチでは液晶はギミックが入って動く部分だけでした。
でも、ゲームボーイだと画面全体が液晶白黒画面です。
中身のゲームはゲームウォッチだと一つだけ。
でも、ゲームボーイだと小さなカセットになったROMを差し替えることで色々なゲームが出来ちゃう!
ROMの接触が悪くなったら、口でフーフー吹いて埃を飛ばすのはお約束。
登場当時の技術でカラー液晶画面を搭載することは可能でした。
しかし、値段がうんと高くなる上、電池がすぐになくなるという問題がありました。
そこで白黒画面でのデビュー。
それでも世界で累計四千九百四十二万個を売り上げるメガヒットになりました。
もはや任天堂のことを京都の花札屋なんていうのは昭和8年生まれのウチの母ぐらいでしたね。
この時点で任天堂は既に世界的ゲーム会社でした。
さて、このゲームボーイですが1991年の湾岸戦争では米兵に暇つぶし用として提供されました。
湾岸戦争時に、空爆で粉砕された兵舎の瓦礫の中から表面が焼け焦げて、中の液晶がそのまま動いているゲームボーイが発見されています。
任天堂では黒焦げのまま、液晶が動くゲームボーイを耐久性の証として、ニューヨークの直営店舗で展示しています。
ゲームボーイの代表的な人気ソフトは全世界で三千五百万本売り上げたテトリスと1996年に登場したポケットモンスター赤&緑です。ポケモンの方は日本国内で八百二十二万本(赤と緑の合計)を売り上げました。
このうちのテトリス。
湾岸戦争で黒焦げになったゲームボーイに入っていたソフトでもありますが、我が家でも流行りました。
息子が小さい頃、家族みんなでやってました。
息子と家内がまた、私のプレイを見て「一行ずつ潰してる!何そのちまちましたやり方!ちまちまオヤジ!」って馬鹿にするんですよ。
そういう彼らがどんなプレイをしているかと申しますと、五行くらいいっぺんに取るハイスコアを狙って、ワザと変な積み上げ方をしてはすぐにゲームオーバーしているんです。
ハイスコアは目指さないけど、長〜く遊ぶか?
それともハイスコアを狙って一発勝負に出るか?
そんなコンセプトの違いですね、これは。
性格が出てるかも。
ゲームボーイは何度かマイナーチェンジを繰り返しました。
赤、黄色、緑、白、黒、透明の全6種類。色違いのゲームボーイブロス(1994年)
薄型軽量タイプのゲームボーイポケット(1996年)
バックライト付きのゲームボーイライト1998年)がマイナーチェンジ版です。
そして、1998年、4月にライトが出て、半年後の10月にカラー画面にフルモデルチェンジしてゲームボーイカラーが登場しました。
2001年にはさらにモデルチェンジしてゲームボーイアドバンスになりました。
2004年登場のニンテンドーDSはさらにその後継モデルです。
こうなってくるとどの世代のゲーム機で遊んだかで歳がバレますね。
ギミックのとこしか動かないゲームウォッチを知っていたら五十代。
ゲームボーイの画面が白黒でした!…なら三十代か四十代。
ゲームボーイの画面がカラーでしたなら二十代ってとこでしょうか?