家庭用ビデオゲーム狂想曲①
ゲームウォッチの成功で京都の花札屋から世界のゲーム会社に脱皮した任天堂。
ゲームウォッチの収益で立ち上げた事業の一つがゲームボーイに始まる携帯型ゲーム機のビジネスでした。
あともう一つはダイナミックなアーケードゲームを家庭で出来るようにすること。
すなわち、家庭用ビデオゲームを作ること。
こうして1983年に発売されたのがファミコンことファミリーコンピューターでした。
ファミコンには独特の開発コンセプトがありました。
低価格。充実したソフト。支援ツールを使って、プログラマーではなく、デザイナーがゲームを作れるようにする。見ていて面白い画面。操作が簡単。
ファミコンのコントローラーはジョイスティックではなく、十字型のボタン。
間違って子供が踏んでも壊れないようにという配慮だけでなく、製造コストのカットにもなってます。
当時の社長の指示では価格を一万円以下に抑えるようにとなってました。
そこまでのコストカットは出来ず、実際の価格は一万四千八百円になりましたが、それでものちのライバル機であるプレイステーションが三万九千八百円で発売されたことを考えると、充分に価格破壊はしていたものと思われます。
さて、充実したソフトのために、任天堂はソフト制作会社にライセンス制を布いてました。
海賊版のソフトは読まないように内部の少しずつ異なる本体を八種類用意。
ソフトのライセンス制作をする業者には、ライセンス料の支払いに加えて、次のような条件を課していました。
❶公序良俗に反しない
ファミコンはお父さんが買ってきて子供と遊ぶアイテムでしたからね。エロゲーはもってのほか。グロい絵柄や設定も当然アウト!
❷ソフトの年間製造本数は一本以上五本以内とする
粗製濫造させないためですね。
❸ROMカセットの製造は任天堂に委託すること
これで任天堂はROMカセット製造料の半額をソフト会社に前金で納めさせていました。
任天堂がソフト業者に高いハードルを作っていたのには訳がありました。
アタリショックの回避です。
任天堂が家庭用ゲーム機の開発に着手したとき、すでにアメリカには家庭用ゲーム機の市場がありました。
ところがソフトがお粗末でクソゲーだらけ。結果、消費者離れが起こって、ファミコンを発売する1983年に最大手のアタリ社を始めとするゲーム機やホビーパソコンのメーカーが次々と倒産し、ゲーム機市場が崩壊しました。
これをアタリショックといいます。
任天堂は日本でアタリショックが出ないように、クソゲーを出させないシステム作りに取り組んでいたわけです。
その中で生まれた代表作となると、この辺りでしょうか?
スーパーマリオブラザーズ(1985年・任天堂)
ファミリースタジアム(1986年・ナムコ)
ファイナルファンタジー(1987年・スクウェア)
桃太郎伝説(1988年・ハドソン)
テトリス(1988年・BPS)
※エニックスとスクウェアは2003年に合併し、株式会社スクウェア・エニックスとなっている。
ファミリーコンピューターは2004年3月まで出荷され、世界で累計六千百九十一万台販売されました。
アナログテレビの電波信号を使っていたため、地デジ化以降は古いビデオデッキを変換用に使うなどしないと今では遊べなくなっています。
アイボリーと赤の当時のデザインを懐かしむ人が多いのでしょうね。
ファミリーコンピューターの発売が終了するとすぐにファミコンミニという復刻版が出ました。