ひとりゾンターク

レトロ万華鏡の日記ページです。

デートやスピーチのツカミネタレシピ 昭和のレトロ、平成のテクノ6

遊び

昭和の終わりからテクノ化したゲーム機

 ドライブゲームに魚雷戦ゲーム、人生ゲーム、野球盤……

 昭和時代のゲームはほとんどアナログの世界でした。

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昭和時代の家庭用ドライブゲームバンダイ製)

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魚雷戦ゲーム(エポック社製)

 

 それが1980年に任天堂ゲームウォッチを出したことで家庭用ゲームの流れが変わり始めました。

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ゲームウォッチ任天堂製)

 ゲームウォッチはワイシャツのポケットに入る電卓大の小さな筐体。

 内蔵ROMにソフトが一つ。ゲームの交換は出来ない。画面は白黒液晶というシンプルなものでした。

 これが全世界で四千三百四十万個売れる大ヒット作となりました。

 ゲームウォッチのヒットで花札屋の任天堂は世界的ゲーム会社に変貌します。

 

 一方でアーケードゲームの世界はタイトーが1977年にブロック崩し、1978年にスペースインベーダーを発売することで流れが変わりました。

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スペースインベーダー

 

 1970年代の終わりから1980年代にかけて喫茶店のテーブルがインベーダーゲームの筐体に変わるのが時代を象徴してますね。

 1980年前後にには様々な会社からアーケードゲームがリリースされています。

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平安京エイリアン(TSG・1979年)

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ギャラクシアンナムコ・1979年)

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侍(SEGA・1980年)

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クレイジー・クライマー日本物産・1980年)

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パックマンナムコ・1980年)

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ラリーX(ナムコ・1980年)

 

 以上は高3から大学1、2年のときに私が実際に遊んだヤツのリスト。

 私はゲームセンターに入り浸っていたわけではないので、もっと多くのビデオゲームが巷に広まっていました。

 駄菓子屋やプラモデル屋の一角がゲームコーナーに変貌。  

 商店街にゲームセンターが出来る。

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街のゲームセンター

 デパートの屋上遊園地からアナログのゲーム機が消えてビデオゲームアーケードゲームに入れ替わる。

 街のあちらこちらからアーケードゲームのピコピコサウンドが聞こえるようになりました。

 音楽もYMOが出てきてテクノポップが流行。 

 大学の後輩たちはみんなもみあげを切り落とし、ドイツ軍のヘルメットみたいなテクノカットになってました。

 今の三十代の方は生まれる前の話でピンとこないかもしれませんが、ファミコンゲームボーイが出てくる前の時代はテクノポップインベーダーゲームの時代だったんです。