百均のセリアがなんと国鉄コンテナ型ブリキ製小物入れを出したって、ネットで見たので、早速、上大岡のミオカ4階のセリアで探してみました。
ハイ、ありました。
これです。割と小さいですね。スケールは1/50だとか。
ちょっと小ぶりですが、Oゲージサイズですね。
グリコのおまけの整理箱にちょうどいい感じです。
1/87ミニカーだと箱ごと1個ってとこですね。
プチプチだとかさばっていくらも入らなくなるので、ティッシュに包むか小袋に入れれば、グリコのおまけの保管に良さげです。
「とうさん、10円じゃ何も変えないよぉ!」「ライスチョコレートがある!」「トーサン!」ってCMが妙にインパクトがあったトーサンのライスチョコレート。1953年にイタリア土産のライスパフチョコレートを単価の安い駄菓子にアレンジする形で開発されました。
このライスチョコの開発メーカーであるトーサンこと東京産業は過剰設備投資により1987年に文字通り本当に倒産してしまいました。
そして事業を引き継いだのが東チョコ。2009年には起業M&Aで株式会社東チョコ.大黒屋に社名を変更したのが、オリジナルのライスチョコを作っていたメーカーでしたが、2016年3月に生産終了。大好きだった駄菓子だったので結構ショックでした。
ところが最近になって、そっくりのお菓子があるってネットに書き込みがありました。
調べてみたら。「ネスレクランチミニ」というネスレ日本が出しているものでした。
パッケージを開けてみたら1つずつ個別包装されています。
中身はこんな感じ!
本家は棒状でしたが、こちらは一口チョコの風情。
お味はかなり似てました。
駄菓子のにんじんと袋菓子のABCチョコレートを買ってきて、製氷皿を使って手作りしてやる!って剛の者もいましたが、ネスレので雰囲気は味わえます。
もう、癖になりそう!
平成前半生まれのあなた!
小学生のとき、カードゲームをしてませんでしたか?
それはズバリ、遊☆戯☆王かデュエル・マスターズでしょ!
・・・というわけで、ミレニアム前後の時代に小学生男子の間で流行った二大カードゲーム「遊☆戯☆王」と「デュエル・マスターズ」を振り返ってみましょう。
遊☆戯☆王
モンスターカード、魔法カード、罠(トラップ)カードの三種類を駆使して対戦するゲームでした。
モンスターカードには闇・光・地・水・炎・風の6種類の属性、レベル、攻撃力、防御力が記載されてます。
魔法カードには「魔」の文字と効果、発動条件が書かれています。
罠カードには「罠」の文字と効果と発動条件です。
プレイするには40枚から60枚のカードを用意し、これを「デッキ」と呼びます。
初めての人はすでにデッキが組まれたセットを買います。
お互いに八千点のライフポイントと五枚の手札でスタート。
攻撃力で競い、先にライフポイントが0になった方が負け!…というものでした。
遊☆戯☆王とよく似たカードゲームですが、こちらのデッキはピッタリ40枚です。
カードの種類はクリーチャーと呪文の二種類。一つのデッキに同じ名前のカードは四枚までという制限があります。
カードには種族、タイプ、能力、必要なマナの数などが書かれています。
お互いに相手の手札をシャッフルし合ってプレイスタート。
最初にデッキの上から五枚取って、シールドゾーンにセット。
次にもう五枚上から取ったものが手札。
ジャンケンをして勝った方が先行ターン。
相手のシールドのカードを攻撃してゆき、先に手札がなくなった方が負け。
ライフポイントの計算がないのがデュエルでした。
だから、遊☆戯☆王では電卓持参の子がいたと思います。
昭和生まれの私から見たら、タロットみたいな妙なカードで遊んでいるってイメージだけで、どっちがどっちだか区別できませんでした。
オッサンはしょうもない!って言われそうですが。
平成時代。
デパートの屋上からは遊具が消えましたが、大型スーパーやショッピングセンターの一角には大抵、子供向けのゲーセンがありました。
そんな中、小学生の間で人気だったのはコレ!
男の子用「ムシキング」
女の子用「オシャレ魔女♥ラブandベリー」
まずは「甲虫王者ムシキング」から。
少年ポポが相棒のカブトムシ「ムシキング」と悪い森の妖精アダーが改造して作った赤い目の外国甲虫を倒すバトルゲームです。
制作はSEGA。
ゲーセンのゲーム機にお金を入れると最初にカードが飛び出し、メニュー画面に移ります。
「ひとりであそぶ」を選ぶと、メインストーリーで改造甲虫と戦うことになります。
「ともだちとたたかう」をチョイスすると、友だちとの対戦プレイになります。
バトルとカードコレクションの二度美味しいゲームでした。
二回目以降はコレクションしたカードをスキャンするとカードに書かれた必殺技が使えました。
続いて「オシャレ魔女♥ラブandベリー」ですね。
こちらはムシキングの女子用としてSEGAが開発した物で、筐体自体はムシキングのものとほぼ同じで、
こちらはお金を入れると出てくるカードが「オシャレまほうカード」が飛び出します。
次に「ラブ」「ベリー」「ミーシャ」のキャラクターの中から好きなキャラを選択。
選んだキャラのヘアスタイル、服、靴を選んでオシャレ度を競います。
着せ替えは制限時間内に何度でもできます。
そのあと、ダンスバトルに移行。
歌のリズムに合わせてボタンを押してダンスさせます。
そしてファッションアイテムのコーディネート能力とダンス能力で点数がつくというものでした。
この「オシャレ魔女♥ラブandベリー」ですが、お金の無駄って娘にやらせなかったら、娘が高校生になったとき、「友だちはみんなやってるのに、アタシだけさせてもらえなかった!」って恨まれた、恨まれた!
この手の子供向けのゲームって、思春期の親子関係に影響しますよ。
禁止すると反抗期が面倒くさいことになります。
お子さんのいらっしゃる方は気をつけて!
ゲームのハードではなく、ソフト。
マニアだけでなく、普通の人でも知っている。そんな平成を代表するゲームソフトって何かありますかねぇ?
そこまで代表的なものはこの二つでしょう。
❶テトリス
テトリスは1984年に旧ソ連の科学者アレクセイ・パジトノフが開発したゲーム。
旧ソ連のコンピューターにはカラフルなグラフィック機能などなかったため、記号などを巧く利用したパズルとなっています。
発想のベースは箱詰めパズル「ペントミノ」。
ペントミノのパーツが上から落ちてくるようにし、列が揃うとブロックが列ごと消滅します。
列が消えたあとは下へ下へと詰まっていくようにできています。
昭和の終わり頃に旧ソ連で生まれて、平成初頭に西側各国で広く知られるようになりました。
もっとも、版権はその出自からロシアにありますが。
アーケードゲームからゲームボーイまで、パズルゲームのベーシックとして、今でも楽しまれています。
1983年にファミリーコンピューターが誕生した当初、作られたドンキーコング。実はスーパーマリオの第一作でした。
2年後の1985年には有名なスーパーマリオブラザーズ登場。
スーパーマリオは昭和の終わりに生まれましたが、平成初頭からずっとニンテンドーを支えるソフトの屋台骨の一つでした。
従来のゲームは敵に触れるとやられるルールでしたが、スーパーマリオシリーズは敵を踏むとやっつけられるという独自なもの。
マリオがルイージと共にクッパに捕らえられたピーチ姫を救うというのが基本ストーリー。
ワリオが主役だったり、恐竜のヨッシーが主役だったり、バトル系でなく、ゴーカートで競走したりと、派生系のゲームも様々。
ニンテンドーで遊んだことのある人なら、必ずどっかでお世話になっていると思います。
ニンテンドーのゲームボーイやスーパーファミコン、SONYのプレステ、SEGAのセガサターン・・・と平成時代を象徴するブームになった家庭用ゲーム機を紹介してきました。
あと一つあります。
バトル系でもロールプレイング系でもなく、ポケットに入る小さなヤツ。
で、女子に大人気!
そう。「たまごっち」です。
たまごっちは1996年11月23日に登場。
女子高生の間で流行りました。
コンセプトがまた個性的です。
なんと「デジタル携帯ペット」です。
高さ53ミリの卵型ボディ。
ネーミングが卵+ウォッチだけに時計機能もありました。
中央の液晶画面に最初にべびっちやいもっちなどの地球外生命体の幼生が現れる。
現れた生命体に餌をやったり、糞の掃除をしたり、遊んだりしながら、育てていくのです。
構わなかったり、餌をあげなかったり、糞の掃除を怠ると機嫌を悪くしたり、途中で死んじゃったりします。
無事に育つと途中で何度か変身します。
丁度幼虫がサナギ、成虫と変化するみたいに。
初代たまごっちは当初ターゲットにしていた女子高生以外にも売れて1997年に社会を揺るがす大ブームになりました。
大人にまで売れた理由は一説によるとドラマ「踊る大捜査線」でいかりや長介演じる和久 平八郎刑事がたまごっちを育てていたからと囁かれています。
ホントかな?
あとは飛行機のキャビンアテンダントがやっていたという話もあります。
ともあれ、大人がやるようになった結果、デパートや玩具店に長蛇の列が出来たり、バンダイに直接買いに来る人が現れたり、公式サイトに一日一万件以上ものアクセスがあったりした。
この空前の大ブームにバンダイは大増産をします。
たまごっちは海外で二千万個、国内でも二千万個売れました。
しかし、ブームは1998年に収束。
ブームが去ったあとのバンダイには不良在庫の山。
処分の結果、最終的には45億円の赤字となりました。
メガヒットにもかかわらず、社内では失敗作と言われる始末。
バンダイではキャラクターの見直しやターゲットを小学生女児に変更するなど仕切り直しをしました。
2004年に第二シリーズとして「帰ってきた!たまごっちプラス」として発売。
第二シリーズは赤外線通信機能付きでした。
この赤外線通信機能を利用して、店舗でアイテムやミニゲームをダウンロード出来るようにしていました。
今度は狙い通り小学生にウケて、2007年までの三年間で三千万個以上売れ、第二シリーズのブームは収束。
店舗単位での売れ残りはあっても、大量不良在庫には至りませんでした。
2008年の第三シリーズでは液晶がカラー化し、よりキャラクターを複雑に表現できるようにしてあります。
この第三シリーズはカラー期とも呼ばれ、令和に入ってからも売っています。
一時的なブームを巻き起こした一発屋になると思いきや、四半世紀にも及ぶロングセラーとなりました。